屏風浦という地名は、海に迫る山が屏風を立てたようだったからつけられたといわれているが、源頼朝の命名とも伝えられている。安政元年(1854)に軍艦 7隻とともに再航したペリー一行は、この地が故国のミシシッピーの風光に似ていると海図に記載したとか。そのころの屏風浦とは、現在の中区本牧町から金沢区富岡町までの海岸一帯を総称した。慶応3年(1867)12月25日、品川沖で幕府対薩摩藩の戦いが起き、薩摩藩の三田藩邸焼き打ちで命からがら逃れた藩士たちが乗る船と、それを追いつめる幕府の船との息詰まる攻防戦。その光景を屏風浦から眺めていたのが、在留外国人だったという。駅から山の方へと上がってみたが、今では海岸線もかなり遠くなってしまった。 【所在地】
横浜市磯子区森3-18-6




















